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沖縄集団自決冤罪訴訟原告最終準備書面その1の6
⑷ 原告赤松が被った精神的苦痛等の損害について
ア 赤松陳述書・証言
(ア)原告赤松は、13歳年上の兄で、優秀な軍人であり、親がわりとして家族の長のような存在であった赤松大尉を、幼き頃から強く尊敬していた。この原告赤松の思いは、「兄貴がかわって家業に精を出してくれて、おかげで私も大学まで進学することができたという状態ですので、親がわりのようなもんですね。」「尊敬の対象であり、親がわりですね。」(赤松調書p1)、「このような時代でしたので、特攻に行く役目を担っていた兄に対しては、私は、ただただ尊敬の気持ちを持ったものです。」(甲B79・赤松陳述書p6)などの証言からもうかがえる。
(イ)原告赤松は、昭和28年頃、敬愛する兄である赤松大尉が、自決命令を出したなどという虚偽の事実が記載された『鉄の暴風』を始めとする文献等に接したが、赤松大尉本人に事実関係を確かめることもできず、親族とともに、長年、悩み苦しんでいたが、『ある神話の背景』の出版によって、赤松大尉の無実が証明され、赤松大尉はもちろんのこと、自分や家族全員が助かったと思った。しかし、赤松大尉を極悪人と決めつけた『沖縄ノート』がその記載内容を変更することもなく、現在に至るまで出版されていたことを知るに至って、赤松大尉はもちろんのこと、自分や親族の名誉や、赤松大尉に対する敬愛追慕の情が大きく侵害されていることを知り、多大なる精神的苦痛を被ったのである。この気持ちは、以下の原告赤松の証言によく表れている。
 「私にとっては、一旦は、兄の無実が証明されたと思っていたのに、未だにこのような兄が自決命令を出したなどという真っ赤な嘘の話がまかり通っているなど許せない、このようなことを野放しにすることはできない、このような嘘を放置していれば、亡くなった兄に対しても申し訳ないと、強い怒りを覚えました。」(甲B79p6)、「『沖縄ノート』には、兄が渡嘉敷島で自決命令を出して多くの村民を集団自決させた悪の権化であるとか、兄が嘘と自己欺瞞を繰り返す恥知らずな人間であるなどといって、兄に対する誹謗中傷の限りが記載されています。このような誤った事実に基づく屈辱的な記載が、未だ多くの読者の目にふれ、誤解を招く状態になっていることにより、終戦当時、本土防衛の犠牲となった多くの沖縄の方々のため、自分が汚名を忍ぶことで年金が給付されるのならと、敢えて沈黙を守った兄の気高い心情が踏みにじられていると感じました。」(甲B79 p7)、「私自身はこの書き方(「集団自決を強制したと記憶される男」「あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで」)が非常にもう。何しろこの本を読みますと、大江健三郎先生は兄に直接取材をされたこともなく、渡嘉敷島へも一度も行かれていないと。それにもかかわらず、兄の心の中まで踏み込むような中傷・誹謗が書けるんだから、これは大したもんだなと感心しますと同時に、それはもう憤りを覚えますね。」(赤松調書p5)
(ウ)そして、原告赤松は、赤松大尉の無念を晴らすとともに、自己の侵害された名誉を回復せんがために本訴訟を提起したのである。このことは、以下の証言から明らかである。
「兄貴が、昭和46年だったと思いますが、雑誌の『潮』に、私は集団自決を命令していないという記事を残しとるんですけれども、それによりますと、沖縄で極悪人として面罵され、あまつさえ娘に誤解されるのはつらいから、本意ではないけども誤解されたとする点を一々説明するという筋書きで、兄の几帳面なところから細々と誤解の原因になる箇所を説明しまして、その後に。」「(無実を晴らしたいと思われていたということか。)はい。」(赤松調書p7)、「兄の無念の思いは、それはもう『私は命令していない』に十分書かれておることですけども、一々るる説明した後で、ペンも凶器たりうると、300人もの人間を殺した大悪人のことについて書くならば、その資料の質を問い、数多くの証人に傍証させるのが、ジャーナリストとしての最小限の良心ではないかとなじった後で、ここに述べるのは私の血の叫びだといえば、読者はやはり眉をひそめられるであろうかと、これが兄の無念さを代表しとると思いますね。今ごろこんな裁判をやっとると聞いたら、兄は恐らく無念がって化けて出てくるかもしれませんわ。」(赤松調書p8)
なお、赤松大尉は、生前、原告赤松に対し、自己の思いを述べたり、被告らに対して記載の修正を求めたり、訴訟を提起するなどといったことはしていないようであるが、生前に上記手記を公表していたことから明かなように、事実を明らかにして、汚名を晴らし、名誉を回復したいという強い希望を持っていたことは間違いない。
イ 佐藤陳述書
赤松大尉の長女である佐藤加代子は、その陳述書(甲B80)において、以下のとおり述べる。
佐藤加代子は、昭和41年、『鉄の暴風』を読んで、赤松大尉が太平洋戦争末期に渡嘉敷島で多数の住民に対し集団自決命令を出した旨の記載があることを知ったものの、赤松大尉はおろか、家族の誰にも話すこともできぬまま悩んでいた。その後、多くの文献や雑誌、新聞等において、赤松命令説が報道されるようになり、これらの報道により、赤松大尉の近隣住民にも知れるところとなり、赤松大尉自身はもとより、その妻(母)も、共に、大変つらい思いをしたようであった。また、佐藤加代子自身も、友人から指摘を受けるなどして辛い思いをしてきた。昭和45年9月に被告大江の『沖縄ノート』が出版され、赤松大尉を厳しく非難断罪する論調で《赤松命令説》が記載されていることを知り、大変ショックを受け、社会的に大きな権威である被告大江や被告岩波書店の出版によるものであることから、社会的には、当然、赤松命令が真実であるとの扱いを受けるであろうと思われ、恐怖すら感じた。そして、この期に及んでも赤松大尉本人とは面と向かって話すこともできず、真実か否かを判断できぬまま胸を痛める日々を長く過ごしていた。その後、曽野綾子著『ある神話の背景』の出版により、《赤松命令説》を根拠づけるものはなかったと明言された内容が活字になったということで、相当救われた思いがしたものの、一度固定した周囲の認識はそう変わるものでもないため、赤松大尉や母はもとより、自分自身もこの問題は心中に始終つきまとっていた。佐藤加代子にとって、赤松大尉は、温和で、正義感も強く、気骨や誇りを人並み以上に持ち、人にもきちんと頭を下げることもできる公正な人で、家族を大事にし、娘にも愛情を注いでくれた、「良い父親」であり、親として尊敬できる人物であった。赤松大尉の悔しい思いや無念については、本訴訟提起後、『潮』(甲B2)の「私は自決を命令していない」という赤松大尉の手記を読んで知ることができた。原告となってはいないものの、亡母、妹や従姉妹(父の姪)ら他の親族とともに、赤松大尉の強い無念や苦渋、悔しさについては重要な問題として尊重している。
以上のように、原告赤松のみならず、赤松大尉の妻、娘らの赤松大尉に対する敬愛追慕の情も大きく侵害され、耐え難い精神的苦痛を被っていることが明らかであり、原告赤松は、これら親族の思いも全て抱えた上で、本訴訟に臨んでいることも忘れてはならない。
  ⑸ 結論
     以上述べてきたところから、『沖縄県史10巻』(乙9)が発行された昭和49年3月31日以降は、《赤松命令説》を事実摘示し、或いは前提事実として激しい人格攻撃を行なう『沖縄ノート』第5刷(昭和49年7月10日)以降の出版は、不法行為を構成するものであることは明かである。
author:南木隆治, category:-, 02:14
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