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沖縄集団自決冤罪訴訟原告最終準備書面その1の4
ア 名誉毀損の記述について 
『沖縄ノート』の記述において座間味島の「守備隊長」であった原告梅澤の名誉を毀損しているのは、次の記述である(以下、本件記述1という)。
      「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生と、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生き続けているのである。生き延びて本土にかえりわれわれの間に埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。」(甲A3p69〜)
     イ それは「この事件の責任者」である「個人」に対する批判である。 
『沖縄ノート』を通読した一般読者は、上記記述が、慶良間列島で発生した集団自決は、渡嘉敷島と座間味村の「守備隊長」が発した「《部隊は、これから米軍を迎えうち、長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないため、また、部隊に食糧を提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令」によって生じたと読み取るものと思われる。
       なるほど、文章の形式上、《命令》を発した主体は「日本人の軍隊」となっているが、そのあとに続く「生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、なにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから・・・」を読めば、《命令》を出したのは、「生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している」「個人」であることがわかる。そして「この個人の行動の全体」の語句が、示唆しているのは、➀集団自決を強制する《命令》を発しながら、➁自らは生き延びて本土にかえり、➂なにひとつあがなわないまま知らん顔で生活していることであることが読み取れる。
だからこそ、「この個人の行動の全体」は、「いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのである」という日本人全体に対する批判に結びついていくのであるが、その批判は、「この個人」に対する批判を下敷きにしており、日本人全体を「この個人」になぞらえるという構造になっているのである。
 すなわち、本件記述1の「生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお」以下の文章は、日本人全体のあり方を批判するものであるとともに、「個人」としての「この事件の責任者」を批判するものなのである。
ウ 「この事件の責任者」とは二人の「守備隊長」である。
無慈悲な自決命令を発した「この事件の責任者」である「この個人」とは「守備隊長」であることは、本件記述2に「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男・・・『命令された』集団自決を引き起こす結果を招いたことのはっきりしている守備隊長」(甲Ap208)とあることから、容易に判明する。
座間味島の集団自決についは、直接の言及はないが、➀慶良間列島の集団自決が、座間味村と渡嘉敷村の二カ所で行なわれたことが記述されていること(「この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」)、➁渡嘉敷島の守備隊長の責任が、渡嘉敷島での集団自決に限定されていること(「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」)、➂渡嘉敷島での集団自決の責任者として、何の説明もなく当然のごとく渡嘉敷島の守備隊長が特定されていることから、座間味村の集団自決の責任者も、また、当然に、座間味島の守備隊長であると推認されることから、一般の読者は、座間味島で生じた「この事件」すなわち集団自決の「責任者」とは、座間味島の「守備隊長」であると読み取ることになる。  
実際、被告大江も、「この事件の責任者」とは、「1945年当時の慶良間列島の二人の守備隊長のことです」としており(乙97 p11)、これまでの原告らの主張を裏付けしている。 
   エ 《梅澤命令説》の事実摘示  
     したがって本件記述1は、渡嘉敷島の集団自決は渡嘉敷島の「守備隊長」だった赤松隊長から発せられた《命令》によって発生し、座間味島の集団自決は、座間味の「守備隊長」だった原告梅澤から発せられた《命令》によって発生したとの事実を摘示したものと読み取れるものである。
     すなわち、特定の表現が事実の摘示を含むものであるか否かは、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準に、前後の文脈や記事の公表当時に読者が有していた知識ないし経験等を考慮し、右部分が、修辞上の誇張ないし強調を行なうか、比喩的表現方法を用いるか、又は第三者からの伝聞内容の紹介や推論の形式を採用するなどによりつつ、間接的ないし婉曲に前記事項を主張するものと理解されるならば、同部分は、事実を摘示するものと見るのが相当である。また、右のような間接的な言及は欠けるにせよ、当該部分の前後の文脈の事情を総合的に考慮すると、当該部分の叙述の前提として前記事項を黙示的に主張するものと理解されるならば、同部分は、やはり、事実を摘示するものと見るのが相当である」(最高裁平成9年9月9日判決・甲C6)とされているところ、どんなに控え目にみても、本件記述1が、原告梅澤が自決命令を発したという《梅澤命令説》を間接的ないし黙示的に主張するものと理解されることは明らかであるからである。
 また、本件記述1において引用されている上地一史著『沖縄戦史』には
「梅澤少佐は、『戦闘能力のある者は男女を問わず戦列に加われ。老人子
供は村の忠魂碑の前で自決せよ』と命令した」(乙5p51)との記述があ
り、『沖縄ノート』を読む一般の読者の中には、予め『沖縄戦史』を読み、
或いは、『沖縄ノート』の引用に接してこれを読むものが相当数いたこと
が推認される。このことも前記基準における「公表当時の読者の知識」に
含めて解されるべきであるし、そもそも明示の引用をもって「黙示的な主
張」があると解することもできる。
いずれにせよ、本件記述1をもって《梅澤命令説》の事実の摘示がある
と解することの合理性が認められるというべきである。
     尚、本件記述1が《梅澤命令説》の事実の摘示を含むものである以上、
それが原告梅澤の名誉を甚だしく毀損するものであることは敢えて論じるまでもない。
 
author:南木隆治, category:-, 02:11
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