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沖縄集団自決冤罪訴訟原告最終準備書面その1の3『第2 被告大江健三郎著『沖縄ノート』による不法行為について』
第2 被告大江健三郎著『沖縄ノート』による不法行為について 
 1 本件書籍三『沖縄ノート』と問題の所在  
  ⑴ 『沖縄ノート』について 
被告岩波書店が発行する岩波新書『沖縄ノート』(甲A3)は、被告大江健三郎が著述し、昭和45年9月に初刷が発行されて以来、平成19年11月15日に53刷が発行され、これまで合計30万2500部が出版されてきた。 
    被告らによれば、『沖縄ノート』は、 太平洋戦争で本土防衛のための飛散な戦場とされ多数の住民が犠牲になるなど、本土のかめに犠牲にされ続けてきた沖縄について「核つき返還」が論じられていた1970年の時点において、沖縄の民衆の怒りの鉾先が自分たち日本人にむけられることを意識しつつ、日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問いなおした論評であるという(被告書面⑴第1p7)。 
  ⑵ 匿名性と同定可能性について
    被告らは、ある記事等がある人の名誉を毀損するかどうかは「一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈されるものである」ことから、一般読者が本件各書籍を読んで、その記述自体から、表現が誰に関するものであるか特定されることが必要であるところ、『沖縄ノート』の本件各人格権侵害表現は、いずれも「守備隊長」とあるだけであり、梅澤裕ないし赤松嘉次といった氏名が顕かにされていないことから、通常の読者は、それが原告梅澤ないし赤松隊長に関する記述だとは特定できないため、匿名性が保たれており、原告梅澤に対する名誉毀損も赤松隊長の遺族である原告赤松に対する人格権侵害も成立する余地がないと主張する。 
しかし、上記被告らの主張は、柳美里著『石に泳ぐ魚』訴訟事件の判決が「表現の名誉毀損性ないし侮辱性の判断基準と表現の公然性の判断基準とを混同するものであって、採用することができない」として排斥したものと同じものであり、全く失当である。けだし、同判決が判示しているように「小説上の特定の表現が、ある人にとって侮辱的なものか、又は、その者の名誉を毀損するか否かについては、『一般の読者の普通の注意と読み方』を基準とすべきであるとしても、その前提条件ともいうべき「表現の公然性」、すなわち、特定の表現がどの範囲の者に対して公表されることを要するかは、事柄の性質を異にする問題である。」からである(甲C2の1)。たとえ「一般読者」が知り得なくても、「不特定多数」が当該記述の対象を特定することができれば、名誉毀損の成立を否定する理由はないということができよう。
『沖縄ノート』は、昭和45年9月から現時点まで37年間にわたり、30万部以上が一般の書店などで販売され、多数の読者に読まれてきたものであり、そのなかには、旧軍の関係者や沖縄戦の研究者、そして集団自決に関して記述した他の書籍を読んだ者など、当該記述が座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長が原告梅澤と赤松隊長を指すものであることを認識しえる不特定多数の者が存することを否定することはできない。
渡嘉敷島と座間味島の「守備隊長」が誰かを、一般人は知らないから名誉毀損は成立しないという被告らの論法は、特定都市の首長や裁判所の所長といった特定人に対して「殺人鬼」等の根拠のない誹謗を浴びせても、その名は全国的に知られていないから名誉毀損は成立しえないと居直るかのごときものである。   
たった一人しかいない渡嘉敷島の「守備隊長」が赤松隊長を特定する記述であり、同じく座間味島の「守備隊長」が原告梅澤を特定する記述であることは明かである。 
尚、特定性ないし同定可能性の問題の詳細については、原告準備書面(2)第2の54頁以下、原告準備書面(5)第5(p19〜)におい論述したとおりである。  
  ⑶ 本件各記述の個人非難性について    
    被告らは、原告らが問題としている本件各記述(訴状ないし原告書面⑴記載の「『沖縄ノート』の『集団自決命令』に関する事実摘示(その1〜4)」をいう)につき、いずれも沖縄戦における集団自決の問題を本土日本人の問題として捉え返したものであり、いずれも集団自決の責任者個人を非難するものではないという(被告書面⑴p7)。
しかしながら、それが個人を非難するものであるかどうかは、名誉毀損の判断基準と同じく「一般の読者の普通の注意と読み方」を基準にすべきところ、『沖縄ノート』には、渡嘉敷島と座間味島での集団自決が赤松隊長ないし原告梅澤を指す「守備隊長」により発せられた《住民は、部隊の行動を妨げないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令によるものであるとする表現があり、とりわけ赤松隊長が、その《命令》を発したことを前提事実として、「戦争犯罪者」「屠殺者」といった中傷を浴びせたうえ、「あまりにも巨きい罪の巨塊」を犯した「かれ」は、「アイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」との非難を行なっており、それが集団自決の責任者個人を非難するものではないという被告らの弁明は成り立つ余地がない。
    事実、曽野綾子は、『沖縄ノート』の記述について、平成12年に司法制度改革審議会において「風評を元に『罪の巨塊』だと神の視点に立って断罪のした人もいたのですから、それはまさに人間の立場を超えたリンチでありました」であると批判しており(甲B3p4)、平成15年には、『沖縄戦集団自決をめぐる歴史教科書の虚妄』(月刊誌正論2003年9月号所収)と題する論文において「人の罪をこのような明確さでなじり、信念をもって断罪する神の如き裁きの口調に恐怖を感じた」(甲B4p113下段〜)としている。
この点、被告大江は、当公判廷において曽野綾子の読み取りは、「誤読」であると陳弁したが、全く的外れの言い訳であり、むしろ、曽野綾子の「誤読」なるものは、被告大江の誤読に基づくものであったことは後述するとおりである。
⑷ 「公正な論評」の法理について 
    『沖縄ノート』の本件各表現は、いずれも事実摘示と意見論評としての性格を併せ持つものであるところ、意見論評の表現による名誉毀損の成立については、最高裁平成9年9月9日判決(甲C6)が判示した基準、すなわち「ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くというべきであり、仮に右意見ないし論評の前提としている事実が真実であるとの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において右事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である。」が妥当する。
これに拠れば、本件各記述の論評部分による不法行為の成否は、➀それが人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものかどうか、➁ 論評が前提とする事実の重要な部分についての真実性ないし相当性が認められるかどうかにかかっていると解される。          
author:南木隆治, category:-, 02:08
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